「あの日」から13年
明日は3月11日「あの日」という辛い単語になった日です。
東北人にとっては避けては通れない日です。


「あの日」おらは母の介護のため実家に単身赴任中。
激しい揺れに母を抱きかかえてうずくまって揺れがおさまるのを待ちました。
幸い実家は特に大きな被害はなくほっとしましたが、
隣近所では屋根瓦の被害が結構ありました。
でも人的被害は無く良かったです。


停電でテレビも見れず状況がつかめない状態でした。
しょうがなく車のラジオをつけたとたんの大津波警報。
でも画像で見られないから状況が良くわからない。
電気が来ないということは大変なことだと身に沁みました。
それと取水場の通水管破損による断水。
これも大変でした。
修理に1か月以上かかるとの情報で、
生れて初めてやかん片手に小学校の校庭で給水待ちを経験。
トイレ用に小学校のプールの水を汲んだり・・・。


断水はお風呂に入れず困りました。
仙台の自宅と家族は無事で水・電気は来てましたが都市ガスがストップ。
水・電気があればなんとかなると母を連れて自宅に戻ることに。
助かったのは自宅近くの駐車場が無料開放されていたこと。
何しろ交通機関もストップ状態で車しか移動手段がなかったから、
車を実家に置きに帰ることもできず駐車料金も大変な額になるので…。


等々・・・、色々なことが思い出されます。


今日も小雪が舞って寒い日になりました。
「あの日」もそんな寒い日で・・・。
でも3月だからもう少し辛抱すれば暖かくなり何とかなると・・・。


しかし、能登半島地震で被害を受けた皆様は、
3~4か月間厳寒の中の避難生活なんですよね。
ただただ何とか耐えてくださいと祈るしかありません。


何だかとりとめのない話になりました。


今日のブログは文字修飾の無いノンベジジイのひとりごとですm(__)m
この記事にコメントする(ただし5件を超えると受理できません)

お名前

コメント